そのC 原爆の働き、爆発の性質、熱、放射線、爆風、他兵器との比較 (原文:http://www.trumanlibrary.org/whistlestop/study_collections/ bomb/large/documents/index.php?pagenumber=35&documentid=65&documentdate= 1946-06-19&studycollectionid=abomb&groupid=) |
||||||||||||
|
米国戦略爆撃調査 広島及び長崎の原子爆弾投下の効果 (The Effect of the Atomic Bombing of Hiroshima and Nagasaki) 委員長事務局 1946年6月19日 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全く異なったエネルギーの様式 V. 原爆の働き |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広島と長崎に関する話から、ひとつひとつ詳細に、原子爆弾がいかに機能したかについて全体像を描き出すことが出来る。その全く異なったエネルギーの形(*原爆のこと)は、生命あるものあるいは生命のないものに対して、その速度や強さ、ひとつひとつ影響力をもって放射していった。こうした要素の中にこそ、広島と長崎で真に何が起こったかを知る手がかりがある。というのはこうした要素には全く確率の状況が除外されているからである。 ニューメキシコ(* ここではニューメキシコ州アラモゴード砂漠での最初の原爆実験を指している)であれ、広島であれ、長崎であれ、(原爆の)光景の証言は、よく似た全体像を描き出している。 たとえば長崎では、11時02分に爆発したのだが、巨大なマグネシウムの炎(flare)のような、青白い光を帯びたものすごい閃光が見えた。閃光は凄い早さの熱を伴っており、続いてとてつもなく大きな圧縮波が生じた。そして爆発の雷鳴に似た音が聞こえた。その音は15マイル(約24Km)離れたところでも聞こえたが、かえって奇妙なことに、爆心地近くにいた生存者によると、音には特徴的なところはなかった。(* 原爆特有の爆発音はない、と言う意味)長崎からかなり離れた田舎の丘の中腹にいた人たちは最初に青白いものを見、それから市全体を覆ういろいろな色の閃光を見ている。それから数秒後にすぐ耳元で大きく手を叩かれたみたいな、雷鳴に似た音を聞いている。巨大な白い雪のような雲が急速に地上から空に向かって衝き上がった。地上の光景は最初は赤い(bluish)もやみたいな水蒸気ではっきりしなかったが、すぐにチリと煙でできた茶紫色の雲が出てきた。 その時生存者の人たちは根本的に新型の爆弾が使用されたとは知らなかった。凄まじい破壊力をもつ爆発だという認識はあった。しかし日本政府ですら全く新しい型の爆弾だとは思っていなかったのだから。トルーマン大統領の声明が出され、それが新しい原理に基づく作戦だという放送があって初めてそのことを知った。
もし我々が、原爆はその戦争遂行能力からして、超自然的あるいは言葉に尽くしがたいほど凄い、という頭にこびりついて離れない思いこみをはぎ取って、自分の心の中をよく見てみれば、何故最初、この爆弾の独自性が理解されなかったのかが看取できるだろう。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スミス・レポートが検閲マニュアル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.爆発の性質 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原子爆弾は爆発によってその効力を発揮する。爆発とは、スミス・レポートの言葉を借りれば、単純に「狭い地域において、大きな量のエネルギーが突然また暴力的に放出されること。」
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3つのエネルギーの形態 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
通常の高性能爆薬がそうであるように、原爆もエネルギーを放出する、ただ前例のない規模ではあるが。(原爆の)エネルギーは3つの形態をとる。(そのうち一つは新しい) そしてすべて原爆の影響はこれら3つの種類のエネルギーに直接関係している。 すなわち:
原子爆弾の効果に関するすべての議論はこれら3種類のエネルギーのことに関して述べられる。他に神秘的なこともなければ、計り知れない力などが働くわけではない。これがすべてである。 これら(* 3つのエネルギーのこと)で十分である。原子力エネルギーにおける爆発はとてつもなく大きいものであり、また極めて高い集中性をもつため、その使用においてあるいはそれからの防御に置いて、全く新しい問題をもたらす。通常の燃焼や爆発は、爆発物の原子の転位(rearrangement of atoms)の間に放出されるエネルギーのなかの化学反応である。しかし原子反応においては、原子の本質(identity of atoms)、が単に転位ではなく、転換する。(changed)転換はより根元的である。転換において物質はエネルギーに変換する。(transformed)ニトログリセリンの爆発の際放出されるエネルギーは、ニトログリセリン1ポンド(約480グラム)に対して、150ポンド(約13Kg)の水を華氏18°(摂氏約10°)の温度にまで上昇させる熱に転換する。(converted)1ポンドのウラニウムの爆発は20億ポンド(約96万トン)の水を同じ温度にあげるだけの熱を放出する。明らかにほんのわずかの実働する核があれば、ものすごい爆発となる。
それから爆発では、エネルギーは光、熱、ガンマ線、空気圧という形で拡散する。すべての周波帯の放射線も、実際のところ存在するようだ。すなわち、赤外線以下の低周波の熱放射線、すべての色を含んだ可視波(目撃証言でも示した)、それから一般的に「ガンマ線」とまとめられる非常に高い透過放射線である。光と放射熱(「閃光熱」)は、すべての方向に放散し、速度は1秒間に18万6000マイル(約30万Km)。ガンマ線も同じ速度である。(ただしガンマ線はその影響がすぐ現れるとは限らない。)衝撃波はもっと遅く伝わる。通常爆弾からの類推では、爆心地に比較的近いところで秒速2マイル(約3.2Km)、それから急激に音速の早さにまで速度が落ちる。恐らく秒速1/5マイル(約320m)程度だろう。このようにまず光、熱、ガンマ線が到着し、そして衝撃、音、爆風の非常に強い風が到着する。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参加していた日本の科学者 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2.熱 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
爆発の中心点―地上から数百フィートのところだが−は火球である。爆発時放射熱は四散し、容易に可燃物を黒こげにする。しかし放射熱は極めて短い間に発散をやめるので、放射熱に直接あたらない部分は影響を受けない。熱に対して遮蔽するものがあるところははっきりとした目に見える「影」だけが記される。これらのはっきりとした影の外形から逆算することによって、日本と連合国の科学者は火球の直径と高さを決定した。 二つの火球(* もちろん広島と長崎)は明らかに直径数百フィートある。(1フィートは約30cm)その中心温度は、信じがたいことだが摂氏数百万度に達する。その周辺ですら、温度は数千度になる。これは人体、泡状になった屋根のタイル(瓦)、一般の可燃物などを観察して熱の影響を合理的に判定したものである。日本と連合国の科学者はその数字をいろいろな例をとって3000°から9000°と置いた。熱だけに変換したエネルギーは日本の物理学者によって推定されたものだが、天文学的数字で1013カロリーに達する。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
閃光熱は光速で一瞬 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
閃光熱は火球と地面との距離にもかかわらず、火災を起こさせるに十分な強さだった。閃光熱は一瞬にして終わったのにもかかわらず、衣服は発火し、電話線柱は黒こげになり、藁葺き屋根の家は燃え上がった。広島では、(原爆の)爆発は、ほとんど同時に何百もの火災を発生させた。爆心地からもっとも遠い火災は1万3700フィート(約4.1Km)離れた地点だった。しかしこれは多分藁葺きの家が崩れて、黒こげになったものの上に倒れて発生したものだと思われる。火災は、爆心地から約3500フィート(約1050m)以内の地点では、直接閃光熱が直接、黒っぽい衣服、紙、乾いた枯れ木など発火しやすい物体に着火することによって起こっている。(この地点でも)白くペンキで塗ったもの、コンクリートで覆われたもの、モルタルセメントの建造物などは熱を反射し発火しなかった。爆心地から西方へ5200フィート(約1560m)の地点の、杉や檜の皮はだぶきの屋根(cedar bark roof)の家や乾いた木で組上がった家などは原爆の閃光で発火した、と報告されている。しかしながら、建造物における初期の火災の大きな部分は二次的な原因で発生した。(台所の炭火、電気のショート、産業用途のいろんな種類の火などなど。)長崎では日本とアメリカの火災専門家は、(閃光熱から)直接の火災の方が間接の火災より主たる要因だった、と言う点で意見が一致している。比率は60:40である。第一次火災の広がりは(爆心地から)1万フィート(約3000m)以上だったと報告されている。 広島では黒こげになった電話線柱が、爆心地から北へ1万フィート(約3000m)、南へ1万3000フィート(約3900m)の間で認められた。長崎では1万3000フィート(約3900m)以上だった。瓦の泡状の変形は広島では爆心地から4000フィート(約1200m)の範囲まで認められた。しかし、2000フィート(約600m以上)の範囲ではポツポツとばらまいたような発生頻度だった。長崎でも全く同じ現象が報告されている。さらに長崎では爆心地から1マイル(1.6Km)の間で、御影石(granite rocks)に傷跡がついたり、めくるように剥がれたと言う報告もあった。タイル(瓦)のサンプルを4秒の間に1800°までに熱したら、アメリカ標準局(NBS- National Bureau of Standard)でも、同じような泡状変形が表面に得られた。その影響は、原爆に起因する泡状変形より、さらに深くタイルの中に及んでいた。これは原爆の爆発がタイルを4秒以内に1800°以上に上げたことを示唆している。 人々の話によると2万4000フィート(約7万2000フィート)も離れて、原爆の熱を肌に感じた、と言っている。むき出しの肌は1万2000から1万3000フィート(約3600mから約3900m)までは確実に火傷を負っている。1万5000フィート(約4500m)、ほとんど3マイル(約4.8Km)まで火傷を負ったと言う報告もある。4500フィート(約1350m)の範囲で直接被爆したひとは、重度の火傷あるいは3度の火傷に苦しめられた。しばしば(このような火傷は負った人は)、7200フィート(約2100m)にまで及んでいる。爆心地の直下地域では、熱は死体を黒こげにし、見分けがつかなかった。 衣服や建物はかなりの程度(人々を)閃光から守った。ガラスの塊(clump of grass)や木の葉ですら、(防御)に適切だったケースもある。このことは明らかに、閃光に要した時間が、ガラスや木の葉を(防御にとって)無力にする(shrivel)のに必要だった時間より短かかったことを意味している。(* 閃光は一瞬だったのでガラスや木の葉でも防御の役割をしたケースがあった。)(閃光時間について)精確な推定をすることは不可能だが、1秒間を越えた、と言うことはまずあり得ない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
放射線はLethal | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3.放射線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
爆発におけるエネルギーの大量放出を生み出す(核の)連鎖反応は、広い帯域の放射線を発散する。しかし飛び出す中性子(free neutron)や極めて高い周波数の放射線、例えばガンマ線などは新しい現象である。こうした放射線は極めて透過的でありまた破壊的(lethal)である。
放射線の損傷を与える透過性は恐らくは次の3つの発生源に由来するだろう。
広島と長崎の両市において放射能を検出できる地点は多くあった。しかし、(放射線の)最初の原因だけが、重要な影響を与えていたのではないかと思える。広島の高須は爆心地から1万フィート(約3000m)離れたところにある。また長崎の西山は爆心地から6500フィート(約1950m)離れたところにある。科学的測定では(原爆の)爆発から数週間経た後でも放射能が検出された。推測するにこれは(残留放射能は)、誘導放射能というより初期核分裂物質の蓄積からきているのではないかと思う。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生殖機能への影響 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地面や放射線症の犠牲者の骨を試験してみたところ、ある種の構成要素―リン、バリウム、ストロンチウム、希土類元素などに放射能が見られた。長く消え去らない放射能の証拠はわずかというものの、もし原爆が地上で爆発したとき、まったく別な状況がありうるのではないかという不気味な(ominous)可能性に十分道を開くものである。 放射線は明らかに土壌や直物の成長に長期的に続く影響を与えていない。
爆心地から2−3百フィート(約60mから90m)で後で種をまいたところ、通常に発芽した。爆心直下地域で、地面近くの土壌を検査したところ、地虫やその他の生命の存在が、地表からほんの2−3インチ(約5−8cm)のところで確認できた。人間の生殖(procreation)に対する影響はしかしながらまだ結論するには至っていない。しかし爆心地から1マイル(1.6Km)以内の妊婦の流産は増加している。また同地域内の男性の精子の数はほとんどのケースで低くなっている。爆発後同地を訪れた人たちのいろいろな障害についての話は調査の結果裏付けがとれなかった。 爆心地から半径3000フィート(約900m)以内でのガンマ線などの放射線は、致死的(lethal)だったことが証明された。7500フィート(約1950m)以内、時にはそれ以上のケースでは、脱毛が見られた。そしてほとんど2マイル(約3.2Km)以内にわたって、何らかの軽微な影響が見られた。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
全方向に伝わる爆風 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4.爆風(Blast) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
気圧または衝撃波(shock wave)は爆発から全方向に伝わる。発生した爆風効果は、一様だった。また、その規模の大きさを除けば、従来の大型高性能爆薬の効果と同じだった。従って、それぞれの場所での効果、例えば屋根の骨組みの崩壊とか壁の倒壊とか言うのではなくて、建物全部が押しつぶされるとか、全体として崩壊するとか、建物全体に影響があった。 高性能爆薬に置いてと同様、爆風の圧力はほとんど同時にピークに達し、それからややゆっくり目になり、自然の風速よりやや大きいといった程度に落ち着くまで3回の変動をへて、自然の風速以下になる。ポジティブ期(positive period)は、環境の風速よりかなり大きい爆風期間だが、それから続いて生起する、あるいはネガティブ段階より遥かに大きなピーク圧がある。ポジティブ段階は短いとはいえ、次の第2段階よりほんの少し長く続く。通常爆弾では、この第2段階の方がポジティブ段階の方より若干長い。このように原爆の建造物の効果は、通常は建物に対して押しつけるようなあるいは建物をのけぞらすように働く。これに対して、通常爆弾では鋭くたたきつけるような、そしてもっと短くパンチで壁に穴をあけるように働く。(原爆では)はじまりと終わりの間が(通常爆弾より)長く、ためにほとんどポジティブ段階でほとんどの建物は倒壊に至る。ネガティブ段階の長いけれどより強力でない爆風で倒れた建物の証拠はほとんど少ない。爆発の方向へ向けて窓のシャッターが外へ吹き飛んだと言うケースは極めてまれだった。 高性能爆弾での実験では正面ピーク圧は側面ピーク圧の2倍から5倍の強さがあったことを示している。従って爆発に正対した壁や屋根の方が、爆発に平行する同様な表面よりも受ける打撃は大きい。(原爆の)爆心地近くでは爆風はほとんど垂直下方方向に走っていた。もし弱ければ建物は上から押しつぶされていた。また壁には少ししか、あるいは全く損傷を受けないで屋根だけが押しつぶされていた。木々の幹は立ったままだった。しかし枝はすべて剥ぎ取られていた。電話線の柱は押し倒されていた。爆心地の中心に近いところでは立ったままだった。多くの小規模の建物は、事実上空気圧の波に完全に飲み込まれており、同時にいろいろ異なった方向へと押しつぶされていた。それより幾分(爆心からの距離が)大きいところでは爆風の垂直方向要素や水平方向要素が認められた。建物は爆発に対して正対した屋根や壁が大きく損傷していた。(爆心地から)大きく離れたところでは、爆風はほぼ水平方向へと伝わり、爆風の間、建物は壁に顕著な損傷を受けていた。そのようなケースでは、壁が吹き飛ばされるので屋根の骨組みではささえきれず、屋根が完全に落下した。 防御物は、広島より長崎でより重要だった。というのは長崎では丘が市を2分していたからである。1923年の地震(関東大震災)以降、日本の建築基準法は建物の高さを100フィート(約30m)以内に制限していた。従って建物は低すぎてこのような空気炸裂型の爆弾では防御物にならなかったのである。 反射現象や回折現象は観察された。
長崎で、もし爆風が完全の直線で進んだとしたら、もっと助かった建物は実際より多かったろう。(爆風の)反射現象は、原爆から横向きになった屋根にある格子状になった壁面にほとんどその現象が見られる。そこでは屋根からの爆風波の反射が(格子状になった)壁に直接突き当たる爆風を補強していたからだ。また爆風の反射現象は、爆心地から1000フィート(約300m)以内にある橋のコンクリート製の橋げたを折ったり、移動したりしたときに目で見ることが出来た。そこでは川の水にあたった爆風波の反射が、もっとも抵抗力のない橋の部分を強く叩いたからである。 建物の抵抗力はその建設方法に大きく依存している。2つの例を示そう。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トルーマン声明を思わせる非人間性 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
爆風効果は8マイル(約13Km)の範囲にまで及び、その限界あたりでは、広島ではガラスが割れたなどが報告されている。また広島では屋根が剥がれたり、舞い上がった瓦が爆心地から4.1マイル(約7Km)も離れた日本製鋼所(* 原文はJapan Steel Companyだが、これは日本製鉄ではなく明らかに日本製鋼所だろう。)を直撃している。 原爆による破壊の程度を分析するとき、広島と長崎両市の間に異なった建物があるという点で差別しておくことが必要である。長崎ではより広い範囲で同等の爆風効果が見られる。 広島では、鉄筋コンクリートの建物の構造的損壊は、耐震構造を持つもの持たないものの両方を含むが、0.05平方マイル(約0.128平方Km)の範囲内で起こっていた。しかし長崎では同様な深刻な損壊は0.43平方マイル(約1.1平方Km)の範囲に及んでいた。 軽量鉄骨製の平屋建ての建物の深刻な損壊は両方の市に同様に広がっていて長崎では3.3平方マイル(約8.5平方Km)、広島では3.4平方マイル(約8.7平方Km)だった。重量鉄骨については長崎だけで研究されていて、構造的損壊は1.8平方マイル(約4.6平方Km)以上に及んでいた。 構造材壁(load bearing walls)を伴った平屋ブロック造りの建物は、長崎では8.1平方マイル(21平方Km)で深刻な損壊を見せた。広島では6平方マイル(15平方Km)だった。複数階建てのブロック造りの建物は広島だけで研究されていて、深刻な損壊は3.6平方マイル(約9.2平方Km)だった。 木造の住居用建物は、長崎で7.5平方マイル(約19平方Km)、広島で6平方マイル(約15.3平方Km)に深刻な損壊が見られた。木造造りの産業用建物及び商業用建物については、おおむね粗末な造りであり、長崎で9.9平方マイル(25平方Km)、広島で8.5平方マイル(約22平方Km)にわたって深刻な損傷が見られた。 爆風による最大空気圧は、爆発からの距離が大きくなるにつれて、急速に低減している。2つの原爆都市では、良質な建築でできた鉄筋コンクリート製の建造物が構造的損壊を受けたのは、爆心からほんの2−3百フィート(約60mから約90m)までの間に限られている。実際のところ爆心地(ground zero)自体が爆心点(air zero)から相当はなれていて、耐震構造の建築物を壊滅させるには距離がありすぎた。これは調査団の技術者の意見であるが、広島に置いてもっと爆裂の高度が低ければ、そして破壊の範囲に有意味なロスがないものとすれば、もっと高い爆発性能を達成できただろうといっている。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
核の連鎖反応が決定的違い | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5. 原爆と他の兵器との比較 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原子爆弾とその他の兵器の比較を行うとき、その爆発の高度の重要性をよろしく念頭に置いておくべきである。目標からの距離のため、原子爆弾は広島と長崎のいかなる地点にもその高い、一瞬のピーク爆発を及ぼさなかった。小型の高性能爆弾ですら一瞬のピーク爆発を発揮できるのにである。例えば、1個の100ポンド(48Kg)爆弾は地上ゼロの地点で爆発したとき、そのピーク爆発を1000平方フィート(約90平方m)に及ぼすことが出来る。1000平方フィートはおよそ爆発地点から半径18フィート(約5.4m)の円に等しい。しかし原爆はどの地点においてもそのピーク爆発を及ぼさなかった。適切な見方で、効果を及ぼすそれぞれの半径の比較を行ってみると事実関係がはっきりするだろう。日本に置いて原子爆弾が爆発した高さにもかかわらず、その爆発規模は全く新たなスケールだった。というのは爆発のはじめから終わりまでの長さがこれまでの高性能爆弾に較べて長かったからである。一つだけ例をあげよう。長崎ではブロックで出来た建物は爆心地から6000フィート(約1800m)の範囲で構造的な損壊を蒙った。同じような損壊は500ポンド(約240Kg)爆弾では、地上ゼロで爆発して半径55フィート(約16.5m)である。1000ポンド(480Kg)爆弾では80フィート(約24m)、1トン爆弾では110フィート(約33m)、2トン爆弾で200フィート(約60m)である。仮定の話として10トンの超大型爆弾(blockbuster)であれば恐らくは半径400フィート(約120m)の間で同様な損壊が期待できるであろう。(なお実戦で使われた最大の爆弾は10トンの透過型爆弾があるだけである。)このように空中爆裂型の原子爆弾は、500ポンド爆弾の1万5000倍の規模、仮想上の10トン超大型爆弾の225倍の規模でブロックで出来た建物に効果があった。 原子爆弾で要する攻撃力と通常爆弾で要する攻撃力の比較は単に1枚の表を示すことで正鵠を射るだろう。2つの原子爆弾攻撃に対して比較するのは一つの都市への攻撃としてはもっとも効果的だったとされる1945年3月9日の東京への空襲と、日本諸都市に対して第20航空隊が行った一連の空襲への総力とその結果の平均値である。
1発の集中化された爆弾が招来した破壊の程度という以上に、これら資料からくっきり見えてくることは何かというと、それは(核の)連鎖反応に由来する熱、爆発、ガンマ線が相互に組み合わさったこれまでに比類のない損害、と言うことである。 今次戦争のヨーロッパ戦線および太平洋戦線から計量される、すでに知られている各種爆弾の破壊効果を基礎とし、また各種の実験から、調査団は、広島と長崎で発生したのと同様な破壊を達成するのに必要な「打撃力」を推定した。目標とした地域では(in the target area)、物理的損害を引き起こすためには、広島ではおよそ1300トンの爆弾が必要だった。(1/4が高性能爆薬であり3/4が焼夷弾である。)また長崎では600トンの爆弾が必要だった。(3/4高性能爆薬であり1/4が焼夷弾である。)原爆を投下したときに明らかになっている天候や敵の敵対状況と基本的に同じ条件の下で、従って昼間の攻撃を想定しているが、目標とした地域に投下すべき爆弾を措定すれば、広島には1600トンの爆弾を落とさなければならないし、長崎には900トンを落とさなければならない。これらに加えて相当する人的損害を生起すべき対人破砕爆弾(anti-personnel fragmentation bombs)の該当量を加えなければならない。広島ではおよそ500トン、長崎ではおよそ300トンだろう。こうして合計すると、広島では2100トン(400トンの高性能爆弾、1200トンの焼夷弾を含む)、長崎では1200トン(675トンの高性能爆弾、225トンの焼夷弾を含む)となる。またそれぞれの作戦計画では、仮に10トン爆弾を死闘したとして、210機のB−29が広島で必要であり、120機が長崎で必要だったことになる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長崎の実力は実際の5倍 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しかしどうしても頭に留めておいて欲しいのは、長崎では使われた原爆が本来もっている潜在能力を完全に発揮した形で損害が発生したわけではないと言うことだ。原爆が爆発した地域での長崎では、孤立した小規模な損害が発生し、そのダメージは限定されていた。もし目標が十分に大きく、また貫く丘で区画わけされていなかったとしたら、その地域の損害は5倍もおおきかったろう。長崎における不完全な結果でなくて、本来の破壊力を仮に爆弾で換算すれば、およそ物理的損害をもたらすために2200トンの高性能爆弾と焼夷弾、それに人的損害をもたらす500トンの対人破砕弾が必要だったと言うことになる。それぞれ10トン爆弾を搭載してとして270機のB−29が必要だった古都になる。
|
(以下そのDへ続く) |